今回は「原」です。
町内には大字御手洗の「河かわはら原、高たかはら原」、志免3丁目の「河原田、川原」、田富1・4丁目の「下河原、前河原」が小字として残っています。これは、この地域が河原となっていたことに関係します。ですから、川辺の平地で砂や石の多い所にあたります。ただ、原田となるのはひろびろとした耕作地をあらわすので、河原田は川沿いの田を指しています。
「平野」は近代の用語で、伝統的な語で表すと「平」「原」「野」などになります。志免町には大字として「吉原」という地名がありますが、「吉」は、「葦(あし)」のことを指しているといわれます。
ですから、この地域一帯は、むかしは葦が生育していた平野だったと考えられます。
「河原田」の近くに「古賀前」があります。「空閑(こが)」は荒地を意味するので、おそらくその地を開拓したところからきたものと考えられます。また、「河原田」の近くに、「馬越」という地名があります。水源地のあるところですが、ここには宇美川が流れていて、馬が越えられる所といった意味でしょう。つまり、それほどの幅、深さである土地の状況を表したことがわかります。橋の少ない時代にはこの地を往来していたに違いありません。
鳥越という地名が他所にありますが、それは鳥が越えやすい低い峠にあたります。むかしの人は動物の動きを見て地名を名付けていたのです。
(前河原にある三浦の潮井)