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地名の話 「~尻、~尾」の意味

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年12月26日更新 <外部リンク>

今回は「尻、尾」です。

町内の「尻」のつくものは、南里の「尻高町」、別府の「池尻」、志免4丁目の「野間尻」があります。

 「尻」には「底」という意味があります。「野間尻」の「野間」は「ヌマ」=沼地につけられる地名で、その尻(=底)という地名なので、昔は沼底だったのかも知れません。ただ、埋蔵文化財の調査では甕かめかんぼ棺墓(弥生時代)が見つかっている場所で、少し高い所だったと思われるので、実際は「尻=終わり」の意味で名付けられたようです。「池尻」でも池は見つかっていませんが、池の底だったのでしょう。「尻高町」は、底が高いところであったと考えると、微高地であった可能性があります。

 つぎに、町内の「尾」のつくものは、桜丘1丁目から4丁目の「高尾、長尾、松尾」があります。「尾」には山の裾の伸びた所という意味があります。桜丘にある御手水池の下は、西から「高尾、長尾、松尾」と名付けられています。もともと楓のように派生した尾根状の地形でした。それで、高い尾根を高尾、長い尾根を長尾、松のあった尾根を松尾といったのです。また、松尾の下は松ヶ下、その北を松ヶ上といい、松ヶ下が少し低い土地、松ヶ上が高い土地を指し、高低差によって命名したのだとわかります(松ヶ上は現在の「やすらぎの郷」あたり)。

 「松」といえば、明治8年の「福岡縣地理全誌」の志免村の欄には、物産として、米・麦の他に石炭や松茸の記述があります。石炭は現在の東公園台、松茸はこの月隈丘陵側でとれたようです。

 野馬尻近く(堺田)にある庚申尊天(野馬尻近く(堺田)にある庚申尊天)