昔々、またその昔、山の一軒屋にじいさんとばあさんが住んでたそうな。じいさんは山行って薪を取り、それを町に売りに行って暮らしていたそうな。それは大変食乏だったけれども、正直者で、神様や仏様を大事にしてたそうな。いよいよ、正月も近くなった寒い晩のこと、二人はいろりの火ば囲んで、「なあじいさん、正月ももうすぐばってん銭はなし、どうして年越すかいなあ」、じいさんは「そうたい、わしもさあぜんからそのことばかり考えよるとたい」と言って、二人ともだまりこくって火ばかり見つめとんなった。するとばあさんがひょくっと、「じいさん、もちつき棒ばつくって町にいきゃあどうじゃろうかい」と言うたげな。じいさんはひざをたたいて「うんよかろう、じゃあ明日山からよか木ば切ってきて餅つき棒ば作ることいしよう」。
二人は大喜びで寝入ったあくる日、じいさんはよか木ば切ってきて餅つき棒ば作って、それば担いで町へ出て、「餅つき棒はいりまっせんなあ、上等の餅つき棒はいりまっせんなあ」と売ってそうついたばって、一本も売れんじゃったげな。じいさんは、がっかりして、とぼとぼ帰って来なった。ばあさんはこれを見て自分も情けのう思うたばって、「じいさん、よかよか、今日は売れんでも明日は売れるくさ」と励ました。ところが、明日も、また、次の日も、棒は一本も売れんじゃったげな。三日目の晩方精魂つきたじいさんは、川の土手に座りこんで大きなため息ばつきよったげな。そして小さな声で「餅つき棒は切ったれど、歳しや何でとおろうか」とつぶやいた。すると土手の下から「お米でとおりやれ」と大きな声がしたげな。びっくりして、辺りを見回わすばってだれもおらんげな。
不思議に思うて、もう一度「餅つき棒は切ったれど歳は何でとおろうか」と言うて見ると、やっばり下の川ぶちから、「お米でとおりやれ」とまた言うもんやき、じいさんは気味の悪かばってん土手の下に下りて見たら、うろの中にぐうず(石亀)が一匹おったげな。まさか、ぐうずが、もの言うはずが無いと思うたばってん、試しに前のように言うて見たげなりやあ、ぐうずが、「お米でとおりやれ」言うもんしやき、じいさんなあ、びっくりして、こらあ珍しか、持って帰ってばあさんに聞かせてやろうと言いながら、ぐうずを捕えて「寒かろう、冷たかろう」と言うてほおかぶりの手ぬぐいで包んで懐に入れて持って帰ったげな。
「ばあさんばあさん、今日は餅つき棒は売れんじゃったばってん、よかもん持って来たばい」と言って懐からぐうずを出して見せたげな。ばあさんはびっくりして、「じいさんじゃろう、こげなもんばつんのうてきてどげんしなるとな、今日は大晦日ばい、今年も餅なしの正月かいなあ」と悔みなさったげな。じいさんは「ばあさん済まんなあ、今年も大根でも食うとくたい、ばってんぐうずはもの言うばい、ばあさん聞いちゃってんない」と言いながら「餅つき棒は切ったれど歳は何でとおろうかい」とじいさんが言う口の下から「お米でとおりやれ」とぐうずが言ったもんじゃき、ばあさんなあ目ばぱちくりさせながら、もの言うぐうずなんて、お神様からの授かりもんばい」と言うてたいそう喜んで、温いごと藁苞に包んでお神だなに上げて、二人でうっつりがっつり、「餅つき棒は切ったれど、歳は何でとおろうか」と言うと、そのたんびに「お米でとおりやれ」の声と一緒に、真っ白い餅米がお神だなからざあざあ降ってきて、大きなおけ一杯になったげな。二人は大喜び、すぐそのお米でお餅ばうんとこついて、めでたいお正月を迎えることができたげな。
おしまい。