志免城戸近くの田んぼの中に数か所の小さな森があった(昭和三十年以後宅地化して、わかりにくくなったり、造成のために消失したりして現在は一、二か所になっている)。これは光格天皇の天明年間(一七八〇年代)宇美川筋一帯が大洪水におそわれたとき、大字志免の花の木堤防が決壊してたんぼが一面の川原となった。
それを以前の田のように二十町歩の水田を復旧整地したときに出た多くの砂利、小石を捨てることができず、あちこちに積み上げた名残であると言われている。
また、大正年間に海軍燃料廠採炭部で飲料水確保のため大字志免字神の前に五か所の井戸を掘った際、地下2メートルぐらいの所に直径1.5メートルもある大楠を掘り当てた。この大楠は昭和三年、岩崎神社の修復用材として使用された。
おしまい。