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志免鉱業所の歴史

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年12月26日更新 <外部リンク>

海軍管轄時代(明治中期から第2次世界大戦終戦まで)

1889(明治22)年7月 海軍が須惠村新原に第一・二坑を開坑

1893(明治26)年1月 須惠村新原に新原採炭所第三坑が開坑

1901(明治34)年11月 須恵村新原に海軍採炭所第四坑が開坑

1906(明治39)年9月 志免村志免に海軍採炭所第五坑が開坑

1911(明治44)年11月 須惠村旅石に海軍採炭所第六坑が開坑

1918(大正7)年4月  第五坑構内に海軍採炭所第七坑が開坑

1929(昭和4)年10月 海軍燃料廠採炭部新庁舎を須恵村から志免村に移す

1935(昭和10)年5月 第五坑構内に海軍燃料廠採炭部第八坑が開坑

1941(昭和16)年7月 第五坑構内に第四海軍燃料廠竪坑が開坑

旧志免鉱業所(旧志免鉱業所の航空写真)

1943(昭和18)年完成の竪坑櫓と煙突が見えます。右上にみえる広い運動場は、現在の志免中央小学校です。

運輸省管轄時代(第2次世界大戦終戦後から昭和中期まで)

1945(昭和20)年12月 運輸省門司鉄道局志免鉱業所となる

1946(昭和21)年12月 運輸省直轄となり、運輸省志免鉱業所と改称

1949(昭和24)年6月  日本国所有鉄道志免鉱業所となる

1964(昭和39)年2月  稼動を停止し、7月に閉山宣言。75年間の歴史を閉じる

 鉄道(蒸気機関車【昭和38年ころ】)

 明治の中期ごろから、産業の発展と日清戦争後の好況を背景に、鉄道の敷設が進みました。志免では博多湾鉄道引込線と筑前参宮鉄道があり、地域産業の担い手として活躍しました。
 蒸気機関車は石炭などを燃料として、ボイラーで発生させた蒸気を利用して動き、列車をけん引します。時代とともにディーゼル機関車や電気機関車などに取って代わられました。