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亀山の合戦

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年12月26日更新 <外部リンク>

 今から六〇〇年ばかり昔、すなわち北朝の貞治元年(南朝の正平十七年、一三六二年)の秋十月四日、南朝と北朝で探題方の斯波氏経・少弐冬資の軍勢が粕屋町長者原で戦った。このとき南朝の西征将軍懐良親王が負傷され、味方の不利を覚った菊池武光は、太宰府に救援を求めるとともに報告し、自からは亀山の丘の辺りまで退却して、ここで北朝軍の進撃を防ぎ止めようとした。

 勢いづいた北朝軍の追撃はものすごかったが、菊池武光が援軍を率いて東方から北朝軍の側面や背後を突いたので、北朝軍は前と後に南朝軍の攻撃を受けて陣形を乱した。これに勢を得た菊池武光の軍とは一挙に進撃に移ったため、北朝軍は退却し始め、志賀の森、最後坂(原町駅南側)方面に追いつめられて、大打撃を受け破れ去った。この戦で菊池武光の軍が打ち取った首級は一三〇〇であったという。

おしまい。